あるものと、ないもの
- のぞみ 箕村
- 1月30日
- 読了時間: 6分
皆様こんにちは、non.です☺️
今日は世の中や内側の仕組みの話のちょっとだけ深いところのお話をしていきます。
必要な方だけ読んでみてください。

内側には全てがあり、「ない」は存在しないとは何度かお伝えしてきましたね。
しかしこの「ないが存在しない」というのはあなたが望む形ですべての形が「ある」ということとは少し違います。
皆様は、ないというとどんなものを想像するでしょうか?
「無」のイメージとは、例えば空白や、白や黒のただ何もないように見える空間を想像するかもしれません。
しかしながら、実際にはそこには空気があります。私たちの目には見えなくてもそこには物質が満たされた状態で存在しています。
つまりそこには「目に見えなくとも、我々が生きていくのに必要な物質」があるわけですね。
つまり、何もないということは存在できないということです。空間というのは常に「なにか」で満ちているわけです。
より気になる方は量子論を学んで頂いても良いかもしれません。
その「なにか」の形が自分の思っているものでなかった場合に、人々は「ない」と言います。
つまりこれは認識の違いです。
宇宙は常に満たされているというのは、本当の意味で「空」や「無」は存在しないからとも言えます。(少なくとも認識はできないわけです)
それは先程の空気の話や、水でも同じことです。
物理的なことでなくても、私達の意識が「無」の境地に立ったとしても、何も考えていないと我々が認識していたとしても、身体は動いていて、つまりその時にも複数の反応がされている。またその何も考えていないということに気づいた「今」の瞬間にはそこに存在している思考もあり。
「無」の「今」に存在することは不可能とも言えます。
全てのものは陰陽に喩えられるように相補的なものであり、これが欲しいと思う時にそれはどこかに存在するわけです。それが存在するから欲しいと思うのだと言う人もいますね。
これは「鶏が先か、卵が先か」というような問題と同じ事で、結局はどちらが先なのかはっきりと断定できないので同時発生というしかないのが現状でしょう。
ただ人間の意識的には片方しか認識できませんから、欲しいものが存在しているからこそ欲しいと思うんだという以外は捉えられない感覚であり。
それが存在するから欲しいと思うのだというのは知識として知る以外の余地はないようには思います。
なぜこんな話をするかというと。
よく宇宙は限りないと言いますね。
あらゆるものが存在していて無限に選ぶことができる。
ここが大切で…無限だからこそ、「ない」も含めた全ての選択肢から選ぶことが可能なわけですね。
ですから、「ない」も「ある」という上での全てある、なわけです。
先程は欲しい欲しくないと言った話ではじめましたが、それだけではなく、相補的な関係というのは、救いたい救われたいという感覚からも出てきます。
この感覚をそれほど持つには、自らが救われたいと強く願わざるを得ないような経験をしたか、何か大切なものを傷つけられるというような経験をしていないとそもそもそのことを強く意識して生きないわけです。
そうした人生経験により、救う救われるという課題のストーリーを生きはじめます。

ただこれには救いたいと感じるには救われないといけない大変な状況におかれる何かが必要になるわけです。
救う、救われるどちらの経験も等しく価値があるものですが、本当に自由に選べるのであればそもそもそのストーリーを選ぶ必要はないように感じませんか?
全てのものは当価値であるわけですから、わざわざそれならば助ける対象を作るべきではないし、そもそも助ける必要のない世界に行けば良いわけです。
私は常々そう考えてきましたし、実際にはそれが最終的には正しいと感じています。
しかしながら、先程も言いましたが私達は人間です。これまでの「人生」と思える「経験」から、こうした願いを放ちます。
そして、その願いは叶えることができる。
内側の助けを得ながらですが…
先程の「正しさ」はただそうした全てをなくして、真理だけを目指し、知識としての正しさを追求した時の正しさだと思うのです。
これまでの経験の全て…それすら手放したら、この人生を歩む意味はあるのでしょうか?
勿論中にはすぐにでも全てを消して生まれ直したいと考えている人もいるでしょう。しかしそう考えている最中にそれを体験することは難しいのです。
…このことを知った上で頭でいくらそう考えても、恐ろしいものに目を瞑ってお花畑に逃げようとしてみても、、
ひとたび目を開けて現実を見れば、そのストーリーは形を変えて人生に起こり続けます。主役の役割を全うしてくれと言わんばかりに。
だからこそ現実逃避したくなる方が多いのだろうなと感じます。
しかし、本当に怖いのは逃げ続けることで、変えたいと思っているような自分にとって不幸であったり不快なストーリーを継続し続けることです。それを変えるには、現実を見る必要があるわけです。
しかし、それは「ある一定のゴールを得るまで」のことでもあるのです。
あなたが一生同じストーリーを生きる必要はない。小説にもたくさんの章があるように、変わっていくのです。ストーリーは。
例えばあるところまでは誰かを救いたいヒーローのような生き方を選ぶ人がいたとします。そして、自分が救いかった対象と呼べるようなだれかに「助けてくれてありがとう」と言われることで、「救うこと」を叶えられた、、それでストーリーは1つ完結しますね。

そこを超えたら、違う道筋を歩んでも良いはずです。本来なら、そこからがあなたの本当の自由なストーリーです。
ただそもそもそういったストーリーを選ぶ人生にあった方は、それまでの経験や責任感から、またはそれを使命と思うばかりに救うべき人を見つけ作り出す人生を歩み続ける人もいます。
しかし徐々に違和感を感じ始めるでしょう。
その時はあなたのストーリーを変える時です。
だからこそ、あなたのその「根幹」の原動力はどこから来るのかというのを知ることは常にとても大切ですし、その何かが埋まった時には新たな「根幹」として人生をスタートすることもできるのです。
それには「前提」を変えて生きることが必要です。つまりあなたのこれまでの価値観を捨てる勇気が必要になりますが、、、
その価値は計り知れないものですよ。
それに、価値観は変えても、あなたの経験はひとつも無駄になりません。
寧ろそうした時本当の意味で経験の価値がわかるという出来事も起きてくるでしょう。
ここまでのことを内側の世界のことで考えてみると、既に我々に内側が用意してくれていたものに、ようやく気づいたから欲しいと思った時には既に用意されているのだと私は考えています。
内側には全てがある…と言うわけでは実はないわけです。
だって皆様の人生も個性もそれぞれ違いますよね。それこそ内側の反映なわけですから、中に用意されているものも、それぞれの方々によってあるものは違います。
しかし貴方にとって必要なものが全てあるとは言えるわけです。

その違いは、外側基盤の優劣で測ることは到底できるものでなく、ただ貴方の心にとってどれだけ重要なものかで測ることだけが、内側に近い視点で観るコツとも言えるでしょう。
ただし、その心にとって…も余計なフィルターがついている時には当てはまらないのですが😂
さて…今日の話はピンと来る方と「はて?」となる方がいると思います。
わからない時は無理に理解しなくて大丈夫です。
必要なタイミングが来たらまたわかる時がきますからね!
ではまた☺️
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